もう10年以上前の話になりますが、私は、3年半ほど駐在員として海外で仕事をしている時がありました。その時「うつ病」にかかってしまったのですが、そうなるまでの過程をお伝えしたいと思います。

一見華やかなように見える駐在生活かもしれませんが、少なくとも私の場合は悲しいというか空しい思い出になりました。駐在員の苦悩というものは、実はどこの会社でも似たり寄ったりなのではないでしょうか。

sponsored links

華やかに見える駐在員。実は完全な村社会の縮図そのもの

私の駐在先は中国上海でした。中国というのは、良くも悪くも「ものすごいエネルギーのある国」です。人々は、自分の利益や出世を非常に強く望み、しつこいくらいに自己主張をしてくる事があります。

また、マナーもまだまだダメで、ビックリするくらい不愉快なことが起こります。例えば、全く行列に並ばなかったり、大多数の人が割り込みをして来たり、場所を構わず唾を吐いたり、エレベータの中でタバコ吸っていたりしています。

しかし、日本で報道されているような反日感情ですが、私はほとんど感じた事はありません

デモに出くわしたことはありますし、日本食レストランが燃やされたりなどの過激な行動はありましたが、日常生活での実害はありませんでした。むしろ中国人のやさしさや仲間意識に感動したことも多くあります。

そんな場所で、私はどうして「うつ病」にかかってしまったのかといいますと、その原因は日本人なのです

たった3~4人のグループでは逃げ場もなく、いじめにあったのです

皆さんは村八分と言う言葉を聞いたことがあるでしょうか?当たり前ですが、駐在員というのは海外で生活しているのですが、生活グループには3~4人の日本人しかいません。

会社の規模にもよるでしょうが、日本に居る時に比べれば、圧倒的に小さな日本人グループで生活することになります。

もしそこで、いじめられたり、批判されたりすると、孤立をしたり、何らかの仕打ちを受けることになるのです。

たった3~4人のグループなので逃げ場が無いのです。日本で勤めている場合は、たとえ小さな会社であったとしても、仕事が終わればプライベートの友達も含めて大勢の人との会話があるでしょう。

また会社が大きければ、会社内で文句も言える仲良しグループがいると思います。しかし駐在員の場合は、たった数人の日本人しかいません。そんな中、私はいじめにあったのです。

たった2週間で味わった屈辱。人を信用できない悪い経験の持ち主

まず、赴任たった2週間で厳しさを知ることになりました。私は生産部門の責任者でしたが、いきなりクレーム案件が発生したので、タクシーで工場に休日出勤しようとしていました。

その時、もしかしたら営業担当の先輩日本人も行くのではないかと思い「一緒に行かれますか?」とお伺いの電話をかけたのです。ただそれだけです。

そうしたら月曜日に呼び出されて「あの電話の意味は何じゃ!」と怒鳴りつけられたのです。あなたは来ないのか?と嫌味を言われたと勘違いをしたみたいです。

なんという敏感な反応なのかとビビってしまいました。これから先、怖い人と一緒に仕事していく事になるんだなあと思いました。

私は、製造部門の責任者として200人からの部下がいましたが、全員中国人でした。

通訳を挟んでの会話ですのでものすごく時間がかかるし、社員レベルが低くて言ったことをやらないし、仕事が全然うまく回らないのです。ついつい声を荒げてしまう場面も多くなっていきました。

そうしたら、「何も知らないのに生意気だ。」と中国人が陰で言っていると、それをわざわざと言うべきか、噂を聞きつけ嬉しそうな言い方で、日本人が言ってくるのです

sponsored links

中国企業とは酒の付き合い。問題が多いのに酔っぱらってろくな解決が出来ない

中国での酒の付き合いは最悪です。取引のある中国企業に出張すれば、昼間からビールで乾杯。その後酔っぱらいながら会議して、夕方になると引き留められて夜の宴会になり、それは深夜まで及ぶこともありました。

自社の忘年会などでは、中国人スタッフが行列を作って乾杯をしてくるので、飲んでは吐いて飲んでは吐いての繰り返し。本当に何をしているんだろうと情けない気持ちで吐いていました

本社からの出張者や取引先の方も多く訪れます。数少ない駐在員ですので総出で対応します。昼間は査察や打合せや中国企業へ出張などがあり、夜は宴会です。1か月に3~4回はそんなことがありますので、毎週どこかで連日連夜のお付き合いとなります。

中国企業との付き合いも多いのですがトラブルが多く、解決のため相手先に数日間泊まり込んで技術指導なども何度も行いました。しかし本社(日本)の協力は得られないのです。

理由は技術的に分からないとの事。なんでそんな部品を扱うの?と思いましたが、本社の製造部と海外部の仲が悪く、どうも派閥間のいがみ合いで協力できないという事だったのです。

担当営業マンは懇願してくるため仕方ありません。泊まり込みで技術指導するのですが、昼間からお酒、夜もお酒は毎日です。

駐在先では部長だが、日本本社からしてみれば私はただの係長

駐在している工場では部長職で働いてはいるものの、日本での役職は「たかが係長」でした。そんな私には、問題の多くを解決するうえでの権限はありません。

しかし現地社長(日本人)は忙しすぎて1か月にいくらも机に座っていません。相談出来ても2~3分が限度ですので、常に問題は山積みのままです。

大きなクレームも、日本側からの連絡が遅く期限ギリギリになって伝わってくるため、時間が無いので仕方なく物事を決めると「誰がそんなことを決めたんだ!」と日本側から大目玉をくらう事になってしまいます。

駐在員は、雑用も含めて仕事が多いので本当に大変なのですが、私の場合、先輩駐在員が怖い人だったし役職も上だったので、私に仕事を押し付けてきていました。

私は製造部門と技術部門の部長を兼任していましたが、そこに研究部門と品質保証部門も管理してくれと言われたのです。

知識も経験もない部署を言いつけられ、中国人とは通じない会話、通訳を通して通常よりも3倍の時間をかけてコミニケーションを取りました。私に知識や経験が無いのを見透かされて、ちょっとバカにされている様でした。

本当にムチャクチャでした。何でもかんでも押し付けて、「いっぱいいっぱい」になっているのに、正式な人事ではないので何の評価もされませんでした。

1年間で70人も辞めていく職場で、技術力の維持なんて出来ないです

製造部門というのは、従業員の数が多く200人位いましたが、残念なことに1年間で70人くらいの中国人が辞めていきます。

その分採用しなければいけないのですが、70人も採用するとなると、年間で数百人は面接しなければいけません。

そうでなくても忙しいのに、毎週毎週何時間もかけて採用を繰り返していました。しかも、製造部門でちょっと優秀な人材は、勝手に営業や研究部門に異動をされていくのです。

「勝手に異動しないください」と現地社長(日本人)に何度か言ったことがありますが「そう言うな」の一言で、何の解決にもなりませんでした。

それで管理者レベルの中国人が不足するので、補う形で増員すると、今度は本社から「なぜ人が増えているのか?減らしてください」と文句を言われるのです。

完全に左遷された私。人は私にどんな評価を下していたのだろう?

1年半後、現地社長が変わりました。製造部門からやってきたその人は、日本ではほとんど話をしたことはありませんでしたが、同じ製造部門からの赴任で親近感がありました。

1~2か月経ったころでしょうか?社長室に来いと言われ行ってみると「お前は、製造部門の部長からクレーム担当部長にする」と言われたのです。

完全に左遷でした。私は今までの苦労や仕打ちに耐えてきた1年半が思い出され、その場で「わっー!」と声を出して泣き崩れました。

クレーム担当部長という、わけのわからない職に就いた私に、中国人スタッフの態度は変わっていきました。私の言う事を聞いてくれない人が増えたのです。

一応、クレーム案件の責任者として各部門に指示を出し、クレームの原因調査や対策を提案するのですが、以前に比べても議論が長く、「そんなことは分からない」とバッサリ言ってくる奴もいました。

そうして半年もたたないうちに、今度は「日本の出張者扱い」となり、現地での役職は無くなったのです。

sponsored links

押し付けと罵倒の中、腰痛と背中の激痛に悩まされ始めました。

結局私は3年半ほど赴任していました。本当に激動の中で生活をしていた感じがします。みんな本当に責任の擦り付け合いで、「お前がお前が」と全部しわ寄せが来ていたのです。

完全に押しつけられていましたけれど、日本での上下関係もあったし、相手はすごい高圧的に威圧してきたし、陰で罵倒してくるため、私はものが言えませんでした。

最後の方、私は腰痛がひどくなっていました。時々立てなくなり、会社を休まざるを得ませんでした。しかも背中に「こん棒」が突き刺さっているような激痛もありましたので、病院に行きましたが原因は分かりませんでした。湿布薬を貰っただけでした。

出張してきた上司から天の一言「日本に帰りたいの?」

そんな時、日本の上司(そのころ私は日本からの出張者扱いだったので、日本に上司がいました)が中国にやって来ました。

「雲の動き(ペンネーム)くん。君は、ずっと中国にいたいの?日本に帰りたいの?」と上司が聞いてきたので、「正直、日本に帰りたいです」と答えました。

上司とはそれ以上詳しい話はしませんでしたが、10日後、帰任辞令(日本に帰る)が出たのです。

帰国当日、私は腰痛と背中の激痛のため、ステッキのような支えの棒を持っていました。国際線の荷物検査場でジロジロ見られましたが、飛行機の中に持って入ることが出来ました。

「やっと帰国できる」正直、安堵感がありました。良い気持ちではありませんでしたが、まずは日本の上司にあいさつに行こうとは決めていました。

上海から関西空港までは2時間ほどのフライトです。あっという間に日本に到着しました。

到着後、腰痛と背中の激痛のため、席から立ち上がるのも大変でした。飛行機の狭い通路を手荷物を転がしながら歩いていくときも、後ろの人が迷惑するくらいゆっくりでした。

飛行機から出て、ボーディング・ブリッジ(飛行機に繋がる廊下)を歩いているときです。「スーッ」っと、痛みが消えているようでした。

私は支えの棒を持って歩いていましたが、一歩一歩歩くたびに痛みが消えていくのが分かりました。

何歩歩いたでしょうか?その先のエスカレーターに乗るころには、痛みは少し残っていましたが、もう普通に歩けるようになっていたのです。本当に不思議な体験でした。

どれほどまでにストレスがかかっていたのかが分かりました。そうして、その呪縛から解放されたときに一気に体の不調も改善したのです。

本当にいろんなことが起こった駐在生活。絶対に許すことは出来ません

これが私の2回目のメンタルダウンの話です。今回書いた話は、駐在中に起こったほんの一部の話でしかありません

本当に色々なことが起こりましたが、何でこんなに苦労しなければいけないのだろう?と絶望的になりました。

あれから何年も経ちますが、私に屈辱を与えた人たちを、私は絶対に許すことは出来ません。出来ることなら仕返しをしてやりたいです。

ただ、私が赴任した当初に現地社長をしていた人と、久しぶりにあいさつした時です。そこに一つの答えがあるのかもしれません。

私も、あのままずっと現地にいたら、死んどったと思うわ」。生き抜いて来られたのだと思いました。

sponsored links