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今年、私は年収が800万円を超えました。

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サラリーマンを23年間くらい続けてきての結果ですが、2度目の会社ですので21年目というのが良いかもしれません。

ここまでの道のりを書いてみたいと思います。

私の年収800万円への道のり

まず最初に言っておきたい事は、サラリーマンである以上、年収というものは、その業界や会社に大きく左右されます。

ですから、800万円と言う金額が良い悪いという判断基準にはなりません。

むしろ強調したいのは、サラリーマンとして20数年間務めた、その道のりを報告したいのです。

最初に一番重要な事は「やる気」だと思います。

私は20代に、中途採用で今の会社に入社しました。

年の近い先輩や後輩たちに囲まれながらの仕事でしたが、その中で一番やる気があったのは私だと自負しています。

通常の仕事以外に、いろんな提案や改善で残業したり体を動かしたりしていたのは確かです。

そういうことを長く続けていると、会社の中で1人や2人ぐらいは、私のことを「よくやっているな!」と評価してくれる上司や先輩が現れるものです。

そうすると、僅かな差ではありますが、新しい部署が出来たり新しい製品を作る時に、

「じゃあ、あいつを使ってみるか」となります。

そして、新しい部署や新しい製品作りに参加した時も、当然やる気を緩めず、自分の限界近くで仕事を続けるわけです。

そうすると、当然というか必然的に実績も上がってきます。

仕事のやり方は、がむしゃらで効率も悪かったのでしょうが、しかしそこはやる気や労働時間でカバーをしてました。

そして、社長にまで私のうわさが及んだ事もありました。

やる気満々は失敗や打たれる杭になる事もある

もちろん、がむしゃらが、良いことばかりに影響するとは限らなかったのも事実です。

あまりにがむしゃらにやりすぎて、ミスを連発したり設備を壊したりして、大目玉をくらったこともあります。

また、周りの人は味方ばかりではありません。

どうしても目立ってしまいますので「あいつは何々が悪い」とか、ありもしないような悪口の評判が立ったこともあります。

出る杭は打たれるでした。

それと、私にとってショッキングなことが二つ起こりました。

一つは、労働災害です。自分が悪いわけではなく、完全に会社の安全配慮義務違反でした。

知らされてもいない、教育もされていない有害な化学物質によって、私の体はかぶれ、病院のお世話になったのです。

その時の上司の言葉が、「まったく、面倒かけやがって!忙しいのに!」

と言われ、評価が下がったのです。

二つ目は、違う上司の心無い一言でした。

私の頑張りは、先輩も一目置いてくれていたようです。その先輩は、私を昇進させるよう上司に推薦をしてくれました。

しかし上司の言葉は、、、

「いいよいいよ、雲の動き(ペンネーム)君はただの製造員だから。」

と、私の昇進を認めなかったのです。

そして私のやる気は頂点を迎えます

そうこうしているうちに、私のやる気は頂点を迎えます。

会社が、海外駐在員を応募形式にして立候補を募ったのです。

私は即座に手を挙げました。

経験のほとんどない分野での海外駐在でしたが、私はやる気一発で海外駐在に合格したのです。

海外駐在は非常に厳しいものでした。まあ、正直言って私には黒歴史になってしまったわけですが。

ただ、その中で得たものは非常に多かったのも事実です。

今振り返れば、少なからずとも、私を1番成長させてくれた時期であったのも事実です。

参考までに、私のブログ「ストレスの悩みで節約どころではない。駐在員で村八分にされた話」をご覧ください。

そして訪れる停滞の時期。でも年収は上がる

そして、次に訪れるのが停滞の時期です。

私のやる気と言うものも、賞味期限切れを起こしたのでしょうか?

それから10年は裏目に出た連続です。

私が海外駐在を終えて元の工場に戻ってきた時、工場の勢力図というか力関係が変わっていました。

それに気づかず、最大派閥のボスに挨拶を忘れただけで、日陰の部署に異動させられたのです。

でも、ちょっと気づいていました。しかし、そんな邪道な派閥は私の感覚に合わないと思って無視したのです。

そのため、案の定と言うか、報復人事的をされました。

その後は全く評価は上がりませんでした。意味不明のNo2からの嫌われもあり、何をやっても上に上がることはありませんでした。

その間に、どんどん同僚や後輩が上に上がり、気づけば年下に敬語を使う日が来ていました。

そして私は50歳を手前にして、ホワイトカラー職を解かれ24時間の交代勤務の作業員として勤務を始めました。

年齢による職務転換です。誰もが通る道ですが、もちろん管理職になった同僚はホワイトカラーのままです。

しかし皮肉なもので、夜勤手当や交代手当などが付くため、今まで740万円位だった年収が800万円になりました。

自分の取り柄は「やる気」だから捨てない

現在の私はブルーカラーに戻り、工場の交代勤務として働いています。

が、色んな条件が重なり、年収がホワイトカラーの時より格段にアップしました。

多分、管理職である課長より多いかもしれません。

海外の駐在員まで経験しているのに、今さら交代勤務とは惨めな・・・。

と思われましたか?

確かに。私も最初は惨めでした。会社を辞めようかとも考えました。

もし、読んでくださっているあなたに、アドバス出来るなら次のような事を言いたいです。

  • 最初はやる気が重要だと思います。
  • サラリーマンは組織の一員。長い物には巻かれろ

です。私はやる気がありすぎて、少々自分の立場をわきまえず横柄になっていたのだと思います。

サラリーマンは実力プラス、礼儀と言うか長いものには巻かれろです。

力の強い人には礼儀を尽くしてください。

私は年収800万円を超えて、逆に自分の立場が追い込まれたなと感じています。

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