私は、メンタルダウン、いわゆる「うつ病」に2回、現在でも高ストレスと診断されて専門家のコンサルティングを受診中です。そんな私ですので、うつ病の人の気持ちは少し分かるような気がします。

自分が生きていくために、簡単に仕事を辞めるわけにはいきません。節約以前の問題で収入が無いと話が始まりません。しっかりと仕事を続けていくために、うつ病との闘いについて書いていきたいと思います。

sponsored links

学校を卒業して初めての会社勤め。そして嫌な上司に遭遇

一回目のうつ病発症は、もう20年以上も前の話です。大学を卒業して就職して1年3か月でうつ病にかかりました。理由は以下のような感じでした。

私は大学を卒業してある会社に就職できました。本社工場で6か月間の研修を受けた後、自分の配属先である支社の工場に赴任したのです。

配属された部署は「生産管理課」でした。中小企業で人手が足りなかったのでしょう。いきなり管理部門に配属されたのです。最初は右も左もわからないので、色々頑張って仕事や会社の人達にも慣れていきました。ただ一人の人を除いては。

その人は私の直属の上司でした。多分その人は、誰から見ても本当に失礼な人でした。指示を出すときに人の顔に指を指して話してくるのです。

「ちょっとやめてください。人に向かって指を指さないでください」私はいつも言っていました。その人は言い方も横柄でした。「そんな事もわからないの?大学出ているんでしょう?」「そこからは自分で勉強しなさい。私は帰ります」

女性特有といえば差別になるでしょうけれども、本当に嫌な感じでした。

中小企業のため専門外で広い範囲の仕事が山盛りだった

しかし、嫌ではあったけれども私は新人ですし、仕事が出来ないのは当然なので残業をたくさんして頑張りました。でも、なかなか仕事は覚えられませんでした。

それはなぜかと言いますと、生産管理課とはいっても中小企業ですので経理や購買の業務も兼ねていて、会計や伝票処理の仕事も大変多かったのです。

私は理系の大学を卒業していて、会計や伝票処理など全く・・・本当に全く理解できなかったのです。最初は数字の前に△が付いているのも何のことか理解出来ませんでした。

私の住まいは会社の寮。一人暮らしで快適だと思っていたのですが・・・

住居は会社の寮でした。実家も遠かったので入寮を希望したのです。寮は一軒家でした。しかし入寮者は私一人だったので、一軒家での気ままな生活でした。

家賃は無料、電気ガスなどの光熱費は実費でしたけれど、それほど多くはなかったと記憶しています。会社からも15分ほどの通勤で快適でした。

残業時間は多かったけれど、近くに家のある環境は良かったと思います。

ある時までは

sponsored links

社長の師匠との共同生活で細かいことを指摘され修行僧の生活が始まる

「来月から、社長の師匠と言われる方が会社に赴任される」工場長が朝礼で発表していました。「雲の動き(私のペンネーム)!社長の師匠は、お前の住んでいる寮に入られる。しっかりとお世話しろよ!」工場長の発表でした。

月も変わり、その社長の師匠と言われる人がやって来ました。さすがに風格があるというか、もう60歳を過ぎた人でしたが威厳を感じる人でした。そんな人との2人生活が始まったのです。

その人は本当に厳しい人でした。お米の研ぎ方、トイレ掃除の仕方、布団の干し方など細かい事を色々説教してくるのです。「お前はどんな教育を受けてきたんだ!」「お前は本当に馬鹿だな!」「情けない!俺が一から叩き込んでやる!」。

仕事を終えて家に帰れば、毎日そんな生活が続くようになりました。その人は優しい面もありましたが、一言でいえば昔気質な厳しいおじいさんといった感じでした。

しかし社長の師匠だという事で、一層の気を使わなくてはいけませんでした。それは周りも同じだったのです。

寮生活では、更に厳しい事がありました。私が残業を終えて帰宅すると、毎週2~3回は、会社の上司、しかも全課長と工場長が社長の師匠を囲んで夕食会、というか飲み会を開いているのです。

私も課長、工場長と共に食事をする事になるのですが、そのほとんどの時間はお酒を注いでいました。食事を取りながら仕事の話を聞かされ、また説教もされました。

課長達が帰った後は、テーブルの後片付け、食器洗いが日課となっていました。しかも「食器の洗い方がなっとらん!もっと洗剤は少なめに!」などの社長の師匠の指導付きでした。

「お前な、今日のお酌の仕方や話の聞き方は何や!俺がちゃんと指導してないと思われるやろ。しっかりとしろ!」説教も日課になっていました。そうして夜遅く寝るというパターンだったのです。

そんな生活が2か月ほど続いていました。

会社ではイジメが始まりました。身に覚えのない掃除をする羽目に

ある日の事でした。「雲の動き(私のペンネーム)!車掃除しておけよ!」課長からの指示でした。・・・??何で私が社用車を掃除しなければいけないのだろう?乗った覚えもないし。

課長は続けます「運転席と助手席の間にジュースがこぼれてベトベトや!お前がやったんやろ!」・・・とんだ濡れ衣でした。

私はジュースをこぼした覚えは全くないし、社用車に乗った覚えもありません。泣く泣く濡れぞうきんを持って車の掃除をしました。

また違うある日です
「あれっ?上手くいかないなあ」
年齢は上でしたが、中途採用で社歴は私より浅い人が悩んでいました。

「あっ!それは、先に固体の方を入れて、後から液体を入れないと上手く混ざらないんですよ」
私は、その事を知っていたのでアドバイスをしました。

「・・・・」
その人は、私の事を全く無視して、一緒に作業していた人と引き続き悩み続けていました。
・・・私に対する嫌がらせだったのでしょうか?

いつの頃から会社の人の風当たりが強くなっていました。

毎日の生活が辛くなり寮は出ました。そして長時間の通勤が始まりました

「すみません、社員寮を出て、自宅から通いたいのですが・・・。」私は、管理課長に相談しました。

「それじゃ、通勤届出書を提出して。」
管理課長は全く理由も聞きませんでした。ものの10秒で会話は終わりました。

私は、本当に我慢が出来なくなり社員寮を出たのです。自宅から通う事にしました。片道1時間半はかかるだろうと思われましたが、決して嫌ではありませんでした。

ある日、私は現場の応援作業をしていました。10時になったので休憩室で休んでいると、社長の師匠が入ってきたのです。

その時ちょうど、休憩終わりのベルが鳴りましたので作業場へ戻ろうとしました。

「おい!あいさつも無しか!」社長の師匠が私に向かって言ってきました。私は社員寮を出たバツの悪さから、何も言わずそそくさと作業場へ戻ろうとしていたのです。

「あっ、すみません・・・・・・・・」
「まともに、あいさつも出来ひんのか。お世話になりましたとか何かあるやろ。」

「あっ、おせわになりまし...」
まあええわ、これからもしっかり仕事せいよ。」

「あっ、はい」私は、作業場へ戻っていきました。

長い残業時間を余儀なくされ家に帰れず。車中泊の連続だった

会社は、折からの好景気もあったと思いますが忙しい日々が続いていました。昼間は現場の手伝いと本来の生産管理仕事や経理処理もありました。

定時で終わるわけもなく毎日残業で、夜の9時、10時は当たり前で、夜中の1時も珍しくなくなっていました。

そんな状態ですので、家に帰って翌朝早く会社に来るという事が難しくなってきたので、いつしか車で寝泊まりをするようになりました。しかも月曜日から金曜日までずーっと。

夜勤の後輩が心配してくれて、彼の休憩時間(夜中です)にジュースを持って私の車に何度か来てくれた事を思い出します。

会社の朝礼で「ほぼさらし者」にされる。

会社では毎日、事務職の者全員が集まっての朝礼がありました。その朝礼では最初に工場長の一言があったのですが、ある日に工場長は次のような事を言いました。

「仕事をきっちりと仕上げる為には、身なりもしっかりとする必要がある。髪の毛がベトベト、爪も伸び放題で、爪あかもたまっている様ではいけません。
完全に私の事でした。私は連日の車中泊で、お風呂に入っていなかったのです。大変恥ずかしく顔を上げる事が出来ませんでした。

sponsored links

朝礼が終わり、現場の応援に向かおうとしている私に、工場長が寄ってきました。
雲の動き(私のペンネーム)!分かったか?ちゃんと清潔にせいよ!今日の朝礼の事はお前の事やぞ!

「・・・・・」・・・私は、現場に向かいました。
「おい!なんやお前!無視するな、こらっ!」
「工場長、あんまり大きな声をあげないでください」「だってお前、雲の動きが聞かへんから・・・・」

後ろで何やら言っていましたが、もう立ち止まる気持ちはありませんでした。

もう、どうでも良くなりかけていました。

私は夜中一人で辞表を書きました。たった一人事務所の机に座って辞表を書きました

何カ月たったでしょうか?その時は夜の10時くらいだったと思います。相変わらず仕事は終わらず長時間の勤務でしたが、その時私は生産現場にいました。生産現場で廃棄された製品の上で大の字に横になっていました。

「雲の動き?事務所に戻らなくて大丈夫か?」現場の先輩が声をかけてくれます。
「いいんです。今も残業時間ですから申請はしますけどね!」

その日の夜中、たった一人、私は事務所で辞表を書きました。

私の1回目のメンタルダウンはこんな感じです。間もなくして会社を辞めました。一旦無職の期間がありましたが、ほんの2週間ほどで再就職が出来た事は幸運だったと思います。

環境が変わり、大きな変化が起きた事で、私は本来の平静な自分を取り戻せて、問題なく仕事も出来たし生活に支障もありませんでした。大きな環境の変化があって良かったと思います。

若い時なら再出発は十分可能です。環境の変化を恐れないでください

まあ30代前半までの人なら、その時の景気を見て、思い切って環境を変える(転職する)事をしてよいと思います。

私の経験では、同じ会社にいて「うつ病」を改善する事は、会社に相当の制度があれば別ですが、環境が変わらない状態では難しいと思います。

自分の責任でもないのに、自分が会社を辞めて収入を絶たれるのは理不尽な事ではあります。しかしそのまま我慢して、何かが改善される見込みはほとんどありません。

自分の人生は、その時のわずかな収入が全てではありません。人生を長く考えて、自分の明るい未来のためには縁を断つのも必要です。

私はその後、かなり経って2回目のメンタルダウンがあるのですが、次回の投稿で書こうと思います。

sponsored links